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2002年5月 JEITAニューヨーク駐在・・・荒田 良平
「IT不況下の米国IT業界のリストラに向けた取組み」 |
2.
ケース・スタディ(その1) 〜 デル・コンピュータ・コーポレーション (1)
企業プロフィール テキサス州Round Rockに本社を置くデル・コンピュータ・コーポレーションは、マイケル・デルによって1984年に設立された、コンピュータシステム・技術及びインターネットインフラの世界最大の直販業者である。マイケル・デルは、米国の主要コンピュータ企業のCEOの中で在職期間が最も長いCEOである。 2001会計年度の売上高は319億ドルであるが、コンピュータ販売の約半分、技術的サポート業務の約半分、通常の取引の約四分の三がオンラインで行われる。 フルタイム従業員数はおよそ3万4,600人で、その大部分が米国で雇用されており、労働争議のための操業停止を一度も経験したことがない。 2001年2月時点で、同社はオフィス、工場及び倉庫スペースとして合計およそ1,000万平方フィートを所有又は賃借しており、そのうちおよそ700万平方フィートが米国に、他の300万平方フィートが33の国に位置している。同社の主要なオフィスはテキサス州オースチンに、また米国内の製造拠点はテキサス州中央部及びテネシー州中部にある。 (2)
費用削減の第1ステップ 1996年から1998まで、デルの株価は最高潮にあった。しかし、同社は2000年に、成長の遅いデスクトップPC市場からノートPCやサーバーなどの高収益分野にシフトしながら、3回にわたって販売目標を下方修正し、2000年の終わりまでに株価は66%下がった。2001年1月には、PCの値引きが期待されたほどの販売増につながらなかったとして第4四半期の収益と収入の見込みを下方修正した。 費用削減のため、デルは新規雇用の凍結を開始し、マーケティング予算を減少させ、出張旅費を制限した。また、休日向けの一時雇い労働者の活用を縮小し、創設して4カ月のオンライン取引市場を閉鎖した。デルは直販で在庫を多く持たないため元々間接費用が低く、アナリストや投資家は、費用の8〜10%が削減されるだけであろうと予測した。 デルは伝統的にバッファとして10〜30%の一時雇い労働者と契約社員を抱えており、通常は低操業期にはレイオフする。また、同社は通常2月に勤務評価に基づきフルタイム従業員の10%をレイオフする。しかし2001年は、これらの通常の雇用削減では不十分だった。あるアナリストは、販売量と他の費用削減策に基づき、デルは海外も含む全従業員の8%にあたるおよそ3,000人を解雇するだろうと予想した。 同社のスポークスマンは雇用削減を計画していることを否定したが、同社の従業員は、会社が無条件解雇か2月中旬に始まる例年の勤務評価に基づくレイオフで最大4,000人を削減する準備をしていると信じていたという。 同社が雇用削減を検討しているという噂から、3つの主要な株式市場インデックス−ダウ工業株30種平均、ナスダック総合、スタンダード・アンド・プアー500−がすべて下落し、同社の株価は2001年2月9日に2.56ドル(9.8%)下がって23.50ドルとなった。 (3)
最初のレイオフ 1週間後の2001年2月15日、デルは全従業員のおよそ4%の削減を発表した。これによりRound Rockの本社及びオースチンの従業員2万2,000人のうち1,700人が影響を受けた。雇用削減はフルタイムの従業員に対し行われ、ほとんどが管理、マーケティング及び製品サポートの人員であった。また、デルは広告を統合するために全社的な見直しを始め、レイオフと施設統合に関する費用を賄うために1億500万ドルを捻出した。 Adam Cohenの記事「Inside a layoff」(2001年4月16日付けタイム誌)によると、デルにおけるレイオフは、時として非常に冷たく場当たり的に行われたという。2月15日−同社では“D-Day"と呼ばれるようになった−、何人かの従業員が電子メールで目的を知らされずに会議に出席するように告げられた。会議に出席すると、彼らは景気減速のため帰休させられると知らされた。個々人には何の説明もなかった。また、他の従業員は出社すると上司から個人的にレイオフを言い渡された。 従業員は直ちにすべての会社の資産とIDを引き渡すように要求された。テキサス州警察の警官がレイオフされた従業員を車に乗るまでエスコートした。従業員たちは、「賄賂」であると考えられる最大4週間までの退職手当上乗せと引き換えに、このパッケージについて議論したりデルを訴えたりしないという合意にサインするよう奨励された。 同社は、できるだけ慈悲深くレイオフを行おうとしたと主張している。デルはレイオフされた従業員にボーナスを早期支給し、2カ月分の給料と保険料負担という退職手当を与え、ジョブ・カウンセリング料を支払った。 解雇された従業員とその支援者の多くが、この雇用削減は不必要で、やり方がお粗末で、従業員は豊かなオプション・パッケージと大金持ちになる機会との引き換えに会社を成功させることなら何でもやるという非常に実力主義的なデルの企業文化とは対照的なものであると批判した。 しかし、マイケル・デルは4月にタイム誌に対し、雇用削減は「リーダーとして最も困難ではらわたの引きちぎられるような決定の一つ」であり、軽々しく行ったものではないと語った。 彼は、レイオフは過剰雇用によって自ら招いたものであることを認めた。デルは過去2年間だけで1万6,000人の従業員を雇っていた。 レイオフに関する最大の苦情の一つは、デルは誰を解雇するか決して説明しなかったことだった。多くの従業員にとって、厳密な従業員業績評価システムが無視されるように見えた。 帰休させられた従業員たちの中には、デルは年齢差別をして、より高齢で高給の従業員を狙い撃ちにしたと非難する者もいる。「残った奴らは会社を造った奴らじゃない。汗をかいたのは我々なのに、今や奴らがストック・オプションを得ている。」 ミシガン大学ビジネス・スクールのKim Cameron教授は、大規模な雇用削減の費用対効果が高いかどうかには懐疑的だ。彼は従業員をレイオフした会社の生産性、利益率及び株主価値に関する1986年から1992年までの研究を示し、「多くのダウンサイジングは単に社外の人々、特にウォール街へのメッセージとして行われる」とタイム誌に述べている。例えば、デルの株価は雇用削減が発表された日に9%上昇した。デルの株価は2000年3月以来66%下がっており、デルに厳しい措置をとるよう求めていたのである。 デルから解雇されたにもかかわらず、多くの元従業員は、同社に戻れるなら迷わず戻るという。タイム誌のAdam Cohenによると、ある元従業員は、「今まで働いた中で、あんなに良い所はなかった。戻れるなら二つ返事で戻るよ。」と語ったという。 コスト削減と雇用削減は、明らかにデルを救った。 レイオフにかかった費用は1億500万ドルで、そのうちおよそ5,000万ドルが退職者への手当、残りが施設閉鎖のための費用だった。2001年4月15日の時点で、実質的に退職者全員が会社と切り離され、退職手当に関する責任は一掃された。これによって、年間でおよそ1億ドルが浮くこととなった。 こうして浮いた資金は、企業向け製品の販売台数や売上の成長を維持するための値引き、販売促進や研究開発に再投資された。デルは営業費用を予想される売上の成長に比例させて管理し続けた。利益を出しながら市場シェアを伸ばし続けるために必要な追加的な費用削減を行ったのである。 調査会社ガートナー・データクエストによると、同社は2001年度の第1四半期に世界のPC市場でコンパック社を抜いてトップになった。 (4)
レイオフの第2ラウンド 2001年5月7日月曜日、デルは、PC価格の大幅値下げによる売上減を補って収益予想を達成するため、更に全従業員の8%に相当する3,000〜4,000人の従業員をレイオフする計画を発表した。また、従業員に無給休暇を取るよう求めた。 従来と同様、雇用削減の大部分はテキサス州中央部で行われた。しかし今回は、雇用削減の一部は自然減であり、6カ月の間に実施されるものだった。 雇用削減は販売、マーケティング、エンジニアリング、管理及びサポート・サービスで行われた。HP、サン・マイクロシステムズなどの企業が同様の計画を公表していた。 Technology Business Research誌のアナリストBrooks Gray氏は、デルは間接費が少ないことで知られており、これ以上の雇用削減は販売やサービスに悪影響を及ぼすだろうと論評した。この懸念に対し、デルのスポークスマンは、直接顧客に対応する従業員は削減されないと反論した。 デルは5月4日に終わる第1四半期については売上80億ドル、一株当たり収益17セントという予測を達成していた。レイオフと事業再構築のための費用2億5,000万〜3億5,000万ドルは第2四半期に計上された。 Information Week誌によると、デルはまた製造拠点の統合を行い、テネシー州ナッシュビルの工場にすべてのノートPCの生産を移管しテキサス州Round RockのノートPC生産を停止した。 (5)
復活への道 ブームが去った後のコンピュータ業界でリーダーに留まるため、デルはマージンの高いラップトップPC、データ蓄積用ワークステーション及びサーバーに焦点を絞った。デルの法人向け事業部(ワークステーション、サーバー及び記憶装置を扱う)は2001年度に55億ドルを売り上げた。これは同社の総売上の17%に過ぎないが、前年に比べ2%も増加している。 ひところ、ビジネス界はUNIXが走る高級で高価な機種を好んだが、昨年はそうでもなかった。最も成長したのは、わずかにパワーが劣るが非常に安価なミッドレンジのサーバーで、何台かつないで一体として動かすことによって大型機と同等のパワーが得られた。 1995年度と2001年度の第1四半期を比べると、デルは成長する法人向けミッドレンジ・サーバー市場でシェアを伸ばした唯一の企業であり、Gateway、 HP、 IBM、そしてコンパックを追い抜いて、年間売上高約400億ドル、28%の市場シェアを有するマーケット・リーダーになった。 ラップトップについては、デル共同COOのKevin Rollinsは、「1台あたりの利益率と売上の両方に関して、ラップトップはデスクトップよりもはるかに大きい。マージンは20%から30%、場合によっては40%も大きい。」と言う。同社は、ラップトップ市場はあまり持ち運ばれない重くてフル機能の機種と、いつも出歩いている企業戦士のための超軽量機種の二つに分かれ始めていると見ており、その双方を視野に入れている。 同社はその超効率的なサプライ・チェーンによっても競争力を得ている。在庫はわずか2、3日分で、多大なコスト競争力を実現している。同社はまた製造ラインを改革して新しい受注生産セル・システムへと洗練させており、PC価格の10%を占める組み立てコストを半減させている。 「他社がPCを500ドル値下げするなら、我々は彼らほど損をせずにそれに追従できる。彼らのコスト構造は我々より50%〜70%も高い。したがって、本当の問題は、彼らがシェアを失っている間にコストを削減することができるかどうかだ。かなり難しいことだね。」とマイケル・デルは言う。 デルは2001年度に約5億ドルを研究開発に費やし、2002年度には約7億ドルを費やす。 マイケル・デルによると、同社は研究開発予算を年間の予算プロセスの一部として費用対効果分析と売上予測に基づいて設定するという非常に現実的な手法を取っている。 また、彼は、同社はできる限り他社の技術に便乗すると言っている。デル傘下のベンチャー企業が、同社の製品ロードマップ(18カ月〜2年)を超える新しいコンセプト、技術、アイデアの開発、テストを担っている。同社は2001年時点で605の米国特許と512の米国特許出願中案件を有しており、一般に、インターネット、サービス、サーバー、記憶装置及び通信に関する新興の私企業に投資している。 2002年については、デルはコンピュータ・ユーザー、特にY2K前の12カ月間にPCを購入したユーザーが、典型的な3年の製品買い換えサイクルに引き続き従ってくれることを当てにしている。 |
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