2002年9月  JEITAニューヨーク駐在・・・荒田 良平

「米国の通信業界の動向」


はじめに

いわゆるITバブルの崩壊は、特に通信業界に大きな影響を与えたが、今年1月のグローバル・クロッシングの破綻に続き、7月にはついに長距離通信大手ワールドコムが連邦破産法11条(日本の会社更生法に相当)申請に追い込まれるなど、米国の通信業界は一向にテレコム・バブル崩壊からの立ち直りの気配を見せない。ドットコム・バブルの清算が一段落し、民間IT投資が底打ちの気配を見せる中で、通信業界は一体どうなっているのであろうか。

ワールドコムの破綻などは、もちろん昨年のエンロン破綻を機に表面化した不正経理問題の側面も有するのであるが、今月の駐在員報告では、米国の通信業界を巡る最近の一連のできごとを、1996年の通信法改正による通信業界への競争導入という流れの中で私なりに整理してみたい。

なお、米国の通信政策や通信業界は非常に奥が深く、とりあえず入手できた文献等でにわか勉強してみたものの、私の手には余る感が否めない。城所岩生氏著の「米国通信改革法解説」など参照した文献等を末尾に記載しておくので、興味のある方はこれらを直接御参照いただきたい。

1.                米国通信分野における競争政策の経緯

昨今の米国通信業界の動向を理解するためには、まず、その根底にある、米国通信分野における競争政策の経緯を把握しておく必要がある。以下に、各種参考文献からの受け売りであるが、その大まかな経緯を記しておく。

(1)           1996年通信法改正以前の米国通信業界

1996年通信法改正以前の米国通信業界における最大のトピックスといえば、多くの人が1984年のAT&T分割を挙げるであろう。これは、日本の1985年の電電公社民営化にも大きな影響を与えるなど、世界の通信業界にも変革を迫る大事件であった。

AT&Tは、言うまでもなく、1876年に電話を発明したアレクサンダー・グラハム・ベルが1877年に設立したThe Bell Telephone社の流れを汲む通信業界の巨人である。AT&Tは、1894年の特許切れに伴い電話事業に参入した独立系の他の電話会社を次々と買収し独占体制を築いていったため、1913年、1949年、1974年の3回にわたり司法省から反トラスト訴訟を提起された。

1913年の第一次訴訟は、AT&Tが司法省に対し、@以後独立系の電話会社の買収は行わない、A独立系電話会社の回線とAT&Tの長距離回線との相互接続を認める、旨を誓約して和解し、これを裁判所が確認することによって判決と同じ効力を持つ同意判決の形で決着した。また、1949年の第二次訴訟は、司法省が非規制の機器製造子会社ウェスタン・エレクトリック社の分離を求めたのに対し、AT&Tがウェスタン・エレクトリック社を引き続き保有する代わりに規制対象の公衆電気通信事業以外に進出しないという同意判決で1956年に決着した。

そして、1974年に提起された第三次反トラスト訴訟は、1982年、AT&Tが機器製造(ウェスタン・エレクトリック社)や研究開発(ベル研究所)を維持し、コンピュータや情報通信分野への進出を許される代わりに、地域通信サービスを提供するベル電話会社を分離するという同意判決(1956年同意判決を修正する形であり「修正同意判決」と呼ばれる)で決着したのである。(なお、余談になるが、AT&Tはベル電話会社を分離してまで守った機器製造部門を、結局は1996年にルーセント・テクノロジーズ社として分離することになる。)

一方、AT&T分割を生む背景となった通信分野における競争導入には、連邦通信委員会(FCC)が大きな役割を果たした。

FCCは、1934年通信法によって設立された州際通信・放送を規制する行政委員会である。(米国は御存知の通り、各州が独立した立法、司法、行政の権限を有し、州政府が対応できない機能だけを連邦政府が担うということになっているので、各州内の公衆電気通信サービスに関する公益事業規制は州の公益事業委員会が担当している。しかし、州内通信と州際通信の規制を完全に切り分けることは困難であり、FCCの規制が州の公益事業委員会の権限を侵しているとして問題になることがある。)FCCは、1968年に他社が提供する付属装置の接続を禁ずるAT&Tの営業規則の見直しを命じ、電話端末機器への競争を導入した。また、1969年には、マイクロウェーブ・コミュニケーションズ社(1971年にMCIに改名。1998年にワールドコムに買収された。)がマイクロ波無線設備を設置して行う専用線通信サービスを認可し、長距離通信分野に競争を導入した。

このように、FCCは、電話端末機器に対するユーザーニーズの多様化や、技術革新による低コストでの代替通信手段の出現といった環境変化を踏まえ、公益事業である公衆電気通信分野に競争を導入していった。こうした競争導入が、AT&Tを分割に追い込む大きな要因となったといえるであろう。(なお、FCC1992年には地域通信分野でも、自前で回線設備を持ち通信事業を行う競争アクセス事業者(Competitive Access Provider, CAP)の参入を認めた。)

ともかく、このような経緯を経て、1982年修正同意判決に基づき、1984年にAT&Tから分離した7つの地域ベル電話会社(Regional Bell Operating Company, RBOC:ベビー・ベルとも呼ばれる)が設立された。(図表1参照) 1982年修正同意判決はまた、長距離通信市場と地域通信市場を明確に区分し、AT&TRBOCがそれぞれの市場に相互参入することを禁じた。こうして、地域通信市場において事実上の独占が維持される一方で、長距離通信市場における競争が促進されることとなった。(RBOC以外の独立系地域電話会社が長距離通信に参入することは認められ、1899年にカンサス州で設立された独立系地域電話会社大手のスプリントは、その後大手長距離通信事業者に成長した。一方、長距離通信事業者の地域通信市場への参入は認められなかったが、上述のようにFCC1992年にCAPの地域通信市場への参入を認めた。)(図表2参照)

図表1 RBOCの営業区域

(出展: 各種資料より作成)


図表2 AT&T分割後の米国通信市場区分

市場区分

規制機関

事業者

州内通信

LATA内通信

市内通信

地域通信

RBOC


独立系地域電話会社

CAP(競争アクセス事業者)

市外通信

LATA間通信

長距離通信

AT&T

MCI

スプリント 他

州際通信

FCC

国際通信

(注)LATA: Local Access and Transport Area。全米で196LATAが設定された。

(出展: 各種資料より作成)


こうした一連の経緯の詳細は他文献に譲るとして、ここでは米国通信業界の動向を見る際の基本的な留意点を挙げておきたい。

それは、日本では他のほとんどの国と同様、電電公社という独占を法定された公共事業体を通じて公衆電気通信サービスの普及が図られたのに対して、米国では、通信インフラは公的部門によって整備されたのではなく、私企業の競争を通じて整備されたということである。(もちろん公益事業規制の重要性を否定するものではない。)AT&Tは米国の地域通信市場を完全に独占していたわけではなく、農村部を中心に数多くの独立系の地域電話会社が存在していた。(現在でも、RBOC以外に引き続き約1,300の独立系地域電話会社が存在している。)

最近、米国ではDSL事業者などの破綻が相次ぎ、ユーザーが突然サービスを打ち切られるなどで大きな問題になっている。また、米国におけるブロードバンド普及の伸び悩みから、ハイテク産業界が新しいブロードバンド普及政策の必要性を訴え、議会・政府における対応が注目されている。日本ではこうした通信サービスの保障や通信インフラの整備に関して、政府等公的部門の果たすべき役割が当然のごとく議論されるが、米国では上述のような経緯もあってか、公的部門に大きな役割を期待するという発想は希薄なようだ。(もちろん、どちらが良いのかは議論の分かれるところである。)

(2)           1996年通信法改正による競争促進

さて、このように1969年の長距離通信分野への競争導入に続き1992年には地域通信分野へも競争が導入されていた通信業界は、1996年の通信法改正によって本格的な競争時代に突入することになる。以下に、その経緯を簡単に整理しておこう。

米国の現在のIT先進国としての基礎を築いた功労者としてゴア前副大統領を挙げることに異論を唱える人は少ないであろう。ゴア氏は副大統領就任以前の上院議員時代から、全米の家庭、企業、学校などを光ファイバで結び高速・双方向の情報通信ネットワークを構築しようという「情報スーパーハイウェイ構想」を提唱していた。そして1993年、副大統領となったゴア氏はこれを発展させて「全米情報基盤(NII)構想」を提唱したのである。

しかし、政府主導のNII構想に対してはAT&TRBOCなどの大手通信事業者の反発も強かった(上述の米国通信業界の歴史を見れば理解しやすい)ため、クリントン政権はインフラ構築を民間に任せ政府は民間が積極的に投資を行える環境を整備することとし、その一環として時代遅れになっていた1934年通信法の改正を提案した。その後、紆余曲折を経て、19962月に1996年電気通信法が成立したのである。

この1996年電気通信法の詳細はやはり他文献に譲ることとするが、ともかくテレビもコンピュータも無かった時代にできた通信法の62年ぶりの大改正であり、様々な内容を含んでいる。ここでは、平成10年版通信白書から、その概要を転記しておく。

1996年米国電気通信法の概要(平成10年版通信白書より)

@        地域通信市場における競争の促進のため、相互接続義務をはじめとする接続ルールが明確化され、また、電力・ガス事業者等の参入が認められた。

A        AT&T分割の際の修正同意審決(MFJ)により、業務範囲の制限されていたRBOCs(ベル系地域電話会社)による長距離通信分野への参入は、営業区域内から発信されるサービスについて分離子会社によること、地域の競争条件が整備されていることについての承認を得ること、地域通信分野における設備ベースの競争相手との競合が存在すること等、一定の条件の下、認められた。

B        地域電話会社とケーブルテレビの相互参入が認められた。

C        テレビ局、ラジオ局について、集中排除原則及び免許期間等の緩和、また、ケーブルテレビについて、料金規制の緩和が行われた。

D        暴力事件の多発を背景に、13インチ以上のテレビ製造メーカーに対して、暴力や性的シーンの多い番組をブロックするVチップの内蔵が義務付けられた。

E        このほか、インターネット等によるわいせつな通信についての規制が強化されたが、「下品な(indecent)」及び「明らかに不快な(patently offensive)」表現の規制については、表現の自由に反するとして、19976月、連邦最高裁判所において違憲判決がなされた。

本稿の文脈に照らして、このうち@について若干の説明を加えておきたい。この地域通信市場における競争促進について、1996年電気通信法は、

A.         規制権限を有する州政府が特定の者の参入を禁止することを法律で禁じたうえで、

B.          すべての通信事業者に対し相互接続を義務付け、

C.         1982年修正同意判決を受けて明確化されていた地域通信事業者(Local Exchange Carrier, LEC)と長距離通信事業者(Inter Exchange Carrier, IXC)との間の相互接続料(アクセス・チャージ)に加え、新たに地域通信事業者(LEC)同士の相互接続料(相互補償金)のルールを明確にすること、

D.         地域通信事業者(LEC)が他の通信事業者に設備を卸売りすること、

E.           既存の地域通信事業者(Incumbent LEC, ILECRBOCと独立系地域電話会社を指す)が新規参入者である競争地域通信事業者(Competitive LEC, CLEC:既存の競争サービス事業者を含む)に対し、アンバンドルして(CLECが必要とする設備だけを)提供すること、その際にILEC局舎内にCLEC設備の設置(物理的コロケーション)を認めること、さらに、

F.           ユニバーサル・サービス(定義が問題なのだがとりあえず「基本的な通信サービスがコストに係らず広く妥当な価格で提供されること」としておく)を促進するためのガイドラインを策定すること、

などを定め、具体的な接続ルール等の規則の策定をFCCに委ねた。これを受けてFCCは、「競争三部作」と呼ばれる「相互接続規則」(19968月)、「ユニバーサル・サービス」(19975月)、「アクセス・チャージ」(19975月)などの規則を策定した。

これらによって、CLECが地域通信市場に新規参入するにあたり、設備をすべて自前で設置する、ILECから一部をリースする、ILECから丸ごとリースする、という様々な選択肢をとる道が開かれることになった。

図表3 1996年電気通信法体系下での通信事業者区分

事業者区分

初期の主要事業者

LEC

ILEC

RBOC

ナイネックス、ベル・アトランティック、ベルサウス、アメリテック、SBCコミュニケーションズ、USウェスト、パシフィック・テレシス

独立系ILEC

GTE、スプリント、サザン・ニューイングランド・テレフォン、他

CLEC

96年通信法以前から存在するCAPMFSTCG、他

Data CLEC]コバド、ノースポイント、リズムス、他

IXC

[総合サービス]AT&TMCI、スプリント、ワールドコム、他

[バックボーン]クエスト・コミュニケーションズ、レベル3、グローバル・クロッシング、他

[伝送路なし]フロンティア、ケーブル&ワイヤレス、他











(注)通信分野における この他のプレーヤーとして、96年通信法では通信事業者とされないISP(アースリンク、PSIネット他)やCATV事業者(タイム・ワーナー・ケーブル他)などがいる。

(出展: 各種資料より作成)

さて、こうして通信市場に本格的な競争を導入するための基本的な枠組みができたわけであるが、この1996年電気通信法やFCC規則は直接的に通信事業者の競争条件を左右することになるため、その後関係者からの訴訟が相次ぐことになった。この詳細は、城所岩生氏著の「米国通信改革法解説」に詳しいが、例えば、

                1996年電気通信法がRBOCに対し(上記Aのように)長距離通信市場参入等にあたって各種条件を課しているのは、私権剥奪法を禁じた合衆国憲法違反である。(RBOC

                FCCの相互接続規則が上記DEの料金の算定方式と州が正式決定するまでの暫定的な代理料率を定めているのは、州政府の権限を侵す越権行為である。また、代理料率が人為的に低く設定されている。(州、ILEC

                アクセス・チャージを段階的に引き下げるのではなく、即刻大幅に引き下げるべき。(IXC

                アクセス・チャージを引き下げすぎである。また、アクセス・チャージを免除されているインターネット・サービス提供事業者(ISP)にもこれを課すべき。(LEC

などといった訴訟が提起された。

さらに、その後インターネットが急速に普及し、ブロードバンド化が進展する中で、1996年電気通信法が想定していなかった様々な問題も表面化した。

例えば、ISPのトラフィックが一方的にインターネット加入者からの着信であることに目を付けたCLECISPを積極的に取り込んだため、本来バランスするはずの上記CLEC間相互補償金(発信側LECが着信側LECにトラフィックの分単位で支払う)がILECからCLECへの一方的な持ち出し(月6,000万ドルにも上ったという!)になり、ILECがその見直し・廃止を求めるといった動きが出てきた。

また、RBOCは高速データ通信であるブロードバンドでの競争で遅れをとらないようにするため、高速データ通信には上記Aの条件や上記Eの義務を適用しないこと、及び高速データ通信のLATAは州全域を1つのLATAとする(つまり実質的には本来長距離通信にあたる州内LATA間通信に自由に参入できるようにする)ことを要請した。

このように、1996年電気通信法はその複雑な規制体系に必然的に伴う、また急速な技術革新に伴い新たに生じる様々な問題を生み、その解決のため、FCC、州政府、裁判所、議会などが対応に追われることになった。関係者の精力的な対応によって、日本の感覚からすると驚くほど速やかに、多くの問題が決着を見たのであるが、それでも現在なお残されている問題もある。

1996年通信法改正に関しては、よく「規制緩和によって競争を促進した」という表現が使われる。もちろん、地域通信事業者とCATV事業者との間で相互参入が認められたなど、大きな意味では規制緩和であることに間違いないのだが、詳細な規定を見ると、様々な関係者間の利害調整を意識した規定が多く、むしろ「競争を促進すべく規制を見直した(適切な規制を導入した)」というのが実態ではなかろうか。

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