2002年9月  JEITAニューヨーク駐在・・・荒田 良平

「米国の通信業界の動向」


2.                1996年通信法改正以後の米国通信業界

ともあれ、1996年通信法改正によって、RBOCが自社営業区域内から発信される長距離通信事業に参入する場合を除き、通信事業への形式的な参入制限が無くなり、米国通信業界は本格的な競争時代に突入することとなった。

この状況を受けて米国通信業界に起こった現象を要約すると、大きく以下の3点に要約できるであろう。

@        CLECの地域通信市場への参入

A        IXCRBOCの戦略的M&A

B        バックボーン・ネットワークへの積極的投資

以下に、それぞれについてもう少し詳しく見てみることとしたい。

(1)           CLECの地域通信市場への参入

1996年通信法改正を受けて、数多くの(1,000社程度とも言われる)CLECが地域通信市場に参入した。このCLECは、音声(電話)サービスを中心とするタイプ(Voice CLECとも呼ばれる)と、データ通信サービスを重視したタイプ(Data CLEC又はDLECとも呼ばれる)に大別される。

Voice CLECの中には、MFSコミュニケーションズやテレポート・コミュニケーションズ・グループ(TCG)のように、1996年通信法改正以前から企業向けの高速回線などの自前設備を持ち競争アクセス事業者(CAP)として地域通信市場に参入していた事業者もいる。こうした事業者は、後述するようにその後次々と大手IXCに買収されることとなった。

一方、インターネットやブロードバンドの急速な普及に伴って、数多くのData CLECが地域通信市場に参入して急成長し、コバド・コミュニケーションズ、ノースポイント・コミュニケーションズ、リズムス・ネットコネクションズなどが脚光を浴びるようになった。こうした事業者は、株高を背景に借入などで資金を調達し、また取引先である通信機器ベンダーから機器調達のための融資を受けて、事業を拡大していったと言われる。

なお、上述のように、CLECの中にはISPを顧客として取り込んで、又は自らがISP事業を行うことによって、ILECから巨額の相互補償金を得ていた者がいると言われる。確かに、有力なISPを取り込むだけで毎月何千万ドルもの大金が転がり込むのだから、おいしいビジネスであることは間違いない。(麻薬取引よりもウマいという陰口まである。)当然、ILEC側は強く抗議したわけであり、これにはさすがに同情の余地もあるのであるが、実はこの相互補償ルールを決めた時点では、むしろ規模の大きいILECの方が着信が多くなりCLECから相互補償金を巻き上げることができると期待していたらしい。それに、ILECだってISPを取り込むことはできたはずなのにその努力をしなかっただけではないか、とCLEC側は応酬した。結局、FCC2001年にパウエル新委員長の下でISP向けのトラフィックについて相互補償金を段階的に逓減させる方針を打ち出した。

まあ、どちらにも言い分はある中で、新政権下でILEC側の政治力が勝ったということなのかもしれないが、気になるのは、この相互補償金に大きく依存していたCLECISPがいたという指摘があることである。ビジネスモデルが相互補償金で支えられているような脆弱なものだったとすれば、容易に破綻しても不思議ではないであろう。

(2)           IXCRBOCの戦略的MA

一口にIXCと言っても、その中には、自らが伝送路も保有しながら総合的な長距離通信サービスを手がけるAT&TMCI、スプリント、ワールドコムといった事業者や、光ファイバによる高速大容量のデータ・バックボーンを建設し伝送路を他のIXCに卸売りするクエスト・コミュニケーションズ、レベル3といったバックボーン事業者、伝送路を借りて長距離通信サービスを提供するフロンティアやケーブル&ワイヤレスなど様々な事業者が含まれる。

AT&Tをはじめとする大手IXCは、いわゆるラストワンマイルを手に入れてワンストップ・サービス構築を進め総合通信サービス事業者への脱皮を図るため、あるいは急速なトラフィック拡大が予想されるデータ通信向けのバックボーン・ネットワーク建設及びインターネット・データ・センターなどの関連サービスで主導権を握るため、その体力を生かして次々と戦略的M&Aを行った。

例えばAT&Tは、1998年にVoice CLEC大手のテレポート・コミュニケーションズ・グループ(TCG)を買収し、地域通信市場への足がかりを築くとともに、大手CATV事業者に目をつけ、1999年にテレ・コミュニケーションズ(TCI)を、また2000年にメディアワンを矢継ぎ早に買収した。AT&Tはさらに、国際的なIP(インターネット・プロトコル)ベースのネットワーク構築に生かすため、1999年にIBMのグローバル・サービス事業を買収した。

また、ワールドコムもM&Aに積極的だった。ワールドコムは、不正経理問題が発覚し破綻して広く知られるようになったように、元々は1983年にミシシッピー州の長距離通信会社として設立されたのだが、その後数十に及ぶM&Aを繰り返して成長した企業である。IXC4位のワールドコムは、1996年に世界最大のインターネット・バックボーン・ネットワーク・サービス事業者であるUUネットを傘下に持つ地域通信事業者MFSコミュニケーションズを買収し、1998年にはIXC2位で自社の2.5倍の売上高を有するMCIを買収して、ついにIXC2位にまでのし上がった。ワールドコムはさらに1998年に、IXC3位で地域通信事業と携帯電話事業も有するスプリントの買収を発表するのだが、さすがにこれは長距離通信市場における競争が損なわれることを懸念した司法省の差し止め訴訟を受けて断念せざるを得なかった。

一方、バックボーン大手のクエスト・コミュニケーションズは、2000年にRBOCの一つで自社の5倍の売上高を有するUSウェストを買収した。(長距離通信事業は売却。)この一見奇妙な組み合わせは、国際バックボーン事業者グローバル・クロッシングがUSウェスト及びニューヨーク州の独立系地域電話会社から大手IXCに成長したフロンティアとの合併を1999年に次々に発表したことに危機感を抱いたクエスト・コミュニケーションズが、USウェスト及びフロンティアに対し敵対的買収を仕掛けたことによって生まれた。クエスト・コミュニケーションズはUSウェストを強引に横取りしてしまったわけである。なお、グローバル・クロッシングはフロンティアについては予定通り1999年に買収している。(その後地域通信事業などは売却。)

こうした大手IXCの積極的なM&Aの一方で、RBOCも通信業界における主導権確保のため合従連衡を繰り広げた。

ベル・アトランティックは、まず1997年にナイネックスを買収して大市場である米国北東部一帯の地盤を固めるとともに、2000年には独立系ILEC最大手のGTEを買収し、ベライゾン・コミュニケーションズとなった。ベル・アトランティックはまた、競合他社への設備開放など長距離通信事業への参入に必要な条件を満たしたとして、1999年にRBOCとして始めてニューヨーク州から発信される長距離通信事業への参入認可をFCCから得て、地域通信と長距離通信のワンストップ・サービス提供への道を開いた。

また、SBCコミュニケーションズは、1997年に経営の厳しかったパシフィック・テレシスを買収し、1999年にはアメリテックを買収して、テキサス、カリフォルニア、イリノイといった大市場を傘下に収めることとなった。

このような他のRBOCの積極的な動きの中で、手詰まりであったUSウェストは、上述にように結局2000年にバックボーン大手のクエスト・コミュニケーションズに買収される道を選ぶこととなったのである。

こうして、1984年のAT&T分割によって生まれた7社のRBOC4社に再編された。(図表4参照)

図表4 RBOCの再編

(出展: 各種資料より作成)

御存知の通り、これら以外にも数多くのM&Aが行われたのであるが、ここでは割愛させていただく。

なお、上述のような大型のM&Aは、司法省やFCCの認可を必要とした。司法省とFCCは、通信事業者の巨大化が競争を阻害し消費者の不利益になることがないかどうかという観点から審査を行い、場合によっては長距離通信事業の分離や携帯電話事業の分離など様々な条件のもとにこれらのM&Aの認可を行った。(ワールドコムのスプリント買収のように拒否したものもある。)その詳細は省略するが、これら規制当局の案件ごとの判断が、1996年電気通信法の下での米国通信業界の競争状態を左右する重要な要因になったと言えるであろう。

もう一点、ここで触れておかなければならないのは、ワールドコムのMCI買収やクエスト・コミュニケーションズのUSウェスト買収に象徴されるような、100億ドルから数百億ドルにも及ぶ、また時として小が大を飲み込むようなM&Aがどうしていとも簡単に行われたのかということである。よく知られているように、これらのM&Aはそのほとんどが株式交換方式で行われており、買収する側はキャッシュを必要としない。株式交換方式自体は戦略的・機動的なM&Aを可能にするし株主重視の経営にもつながるため、経済構造改革のため重要な役割を果たすものなのであるが、当時のように「IT革命」「ニュー・エコノミー」の名の下に株価が右肩上がりを続ける局面では、株高を背景としたM&Aが一層の株高を生むという形でバブルを助長するとともに、その後のワールドコムの不正経理問題に見られるように「株主」ではなく「株価」を重視する風潮を助長する一因になってしまったことは否めないであろう。その後、200112月に企業の買収価額と純資産額との差額である「のれん」の扱いについて企業会計基準が変更され、膨大な「のれん」を抱えた多くの企業が頭を悩ませることとなった。

ところで、1996年通信法改正で条件付きで可能になった、RBOCの長距離通信市場への進出はどうなったのであろうか。RBOC各社にとって、地域通信と長距離通信のワンストップ・サービスの提供は大きな魅力ではあったが、当初は競合他社への設備開放などの条件についてFCCを満足させることが出来ず、上述のように1999年にベル・アトランティック(現ベライゾン)がニューヨーク州発信の長距離通信事業を認められたのが最初だった。その後、2001年に入って(政権が変わって)認可が進み、これまでベライゾンがマサチューセッツ、コネチカット、ペンシルバニア、ロード・アイランド、バーモント、メイン、ニュージャージー各州について、SBCコミュニケーションズがテキサス、カンサス、オクラホマ、アーカンソー、ミズーリ各州について、またベルサウスがジョージア、ルイジアナ各州について、長距離通信事業への参入を認められている。(図表5参照)

図表5 RBOCの長距離通信事業参入の認可状況(20028月現在)

(出展: FCC資料より作成)

(3)           バックボーン・ネットワークへの積極的投資

このように、インターネットやブロードバンドの急速な普及に伴いData CLECなどが成長し、また大手IXCRBOCが合従連衡を繰り広

げるのと並行して、バックボーン事業者は急速なトラフィックの増大を見込んでバックボーン・ネットワークへの積極的な投資を行った。

全米での光ファイバ網建設で先行したのは、クエスト・コミュニケーションズだった。同社は、元々サザン・パシフィック鉄道の子会社として鉄道沿線に光ファイバを敷設する会社だったのであるが、1996年に独立してから急成長を遂げた。1997年に上場され、巨額の資金を調達して光ファイバの敷設を進めたが、他社に先行した強みもあって、GTE、フロンティア、ワールドコムといった通信事業者に回線の半分を卸すことによって建設費の9割を回収できたという。こうして同社の株価はうなぎ上りとなり、その高い株価を背景にさらに巨額の資金を調達して、全米に25千マイル(4km)にも及ぶ光ファイバ網を建築した。

このクエスト・コミュニケーションズに対抗して、レベル3コミュニケーションズやウィリアムズ・コミュニケーションズ、IXCコミュニケーションズといったバックボーン事業者も積極的に光ファイバ網への投資を行った。また、地域通信事業者も、大都市圏の幹線ネットワークや企業向け専用線に光ファイバを導入した。このようにして、総延長およそ3,900万マイル(地球を1,560周分!)とも言われる光ファイバが全米に張り巡らされることとなった。(この数字には、未使用のいわゆるダークファイバが含まれていると思われる。大都市で光ファイバ敷設を進めたメトロメディア・ファイバ・ネットワーク(MFN)社は、一度に864本の光ファイバを束ねたケーブルを最低4本、場合によっては20本以上もまとめて敷設していたという。)

また、グローバル・クロッシングは巨額の資金を調達して従来大手通信事業者がコンソーシアム形式で共同で行っていた海底ケーブル敷設を単独で行い、世界中に16km(地球4周分)の光ファイバ網を敷設した。

このようなバックボーン・ネットワークへの積極的投資の背景には、IT革命の進展によってトラフィックが天文学的に増えるという予測があった。最盛期には、光ファイバの需要は1年に10倍のペースで増大したという。

投資ブームに沸く通信業界に対して、銀行などは先を争うように資金を提供した。国際決済銀行(BIS)の20022月のレポート「IT innovations and financing patterns: implications for the financial system」によると、米国の通信業界の1998年から2001年の4年間における借入金は4,113億ドル、債券による資金調達額は991億ドル、合わせて5,100億ドルに上ったという。

こうして、1997年に540億ドルだった米国通信業界の設備投資額は、2000年には1,130億ドルにまで膨らんだ。



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